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【Monthly Pitch KUMAMOTO】特別セッションレポート:娯楽がないから創作が生まれる——熊本出身の起業家3人が語った原点と未来
【Monthly Pitch KUMAMOTO】特別セッションレポート:娯楽がないから創作が生まれる——熊本出身の起業家3人が語った原点と未来
創業期の起業家向けピッチイベント「Monthly Pitch」は、毎年全国各地へ遠征する地域開催第4弾として「Monthly Pitch KUMAMOTO 2025」を2025年11月21日に熊本県熊本市にて開催しました。
本稿では、会場で開かれた熊本出身起業家による特別セッションのサマリーをレポートします。
【Monthly Pitch KUMAMOTO】熊本出身起業家による特別セッション
テーマ「Roots & Vision ─ 熊本出身起業家が描く未来」
-株式会社ソーシャルインテリア 代表取締役 町野健氏
-taskey株式会社 代表取締役CEO 大石ロミー氏
-ファクトリエ代表(ライフスタイルアクセント株式会社 代表取締役)山田敏夫氏
-株式会社サイバーエージェント・キャピタル 取締役パートナー 竹川祐也(モデレータ)
東京で起業し、地方に還元する。
熊本出身の起業家3人が、11月21日に熊本で開催された第97回 Monthly Pitch KUMAMOTO の特別セッションに登壇しました。原作開発・漫画制作のtaskey代表、大石ロミー氏。インテリア業界の DX を進めるソーシャルインテリア代表取締役、町野健氏。日本の工場から世界ブランドを目指すファクトリエ代表、山田敏夫氏。3人が語ったのは、地方で育った原体験が事業の核になっていること、そして東京で得た知見を再び地方につなげていく未来でした。
娯楽がないから、創作があった

原作開発・漫画制作のtaskey代表、大石ロミー氏
大石氏が率いるtaskeyは、原作開発・漫画制作を手掛けています。自社アプリ「peep(ピープ)」は450万ダウンロードを突破し、LINE マンガやピッコマなどの電子書籍ストアにも作品を配信しています。
大石氏自身、済々黌高校から熊本大学に進学し、その後上京して起業した人物です。上京後には直木賞作家の石田衣良氏のもとで小説を学んだ経験も持つが、クリエイターとしてのルーツは熊本での創作活動にあります。
そんな大石氏は、漫画家志望者の読み切り応募は圧倒的に九州からが多いというエピソードを、大手出版社で編集者をしていた友人の話も交えながら披露してくれました。
「東京は数キロ離れただけで全く別のカルチャーが走っていて、細分化されています。 対して地方は、娯楽の選択肢が限られている分、自分たちで楽しみを創り出すことにエネルギーが向かいやすい。家に帰って漫画を描いたり、小説を書いたりする。だから、クリエイターが生まれやすい環境なんです。
実際、九州からは『ONE PIECE』や『進撃の巨人』、『鬼滅の刃』など、誰もが知る作品が数多く生まれています。
そこに加えて友人は、『西側にはお笑いの文化もあるじゃら』と分析していました。会話にはオチが求められるため、そうした『創作』と『笑い』のカルチャーが混ざり合う土壌が、多くの漫画家を生んでいるのではないかと」(大石氏)。
もともとtaskeyは小説などの領域から事業をスタートしました。しかし、事業を進める中で文字だけの表現と、より幅広い表現や読者層にアプローチができる漫画市場との間には、市場規模において差があることを痛感したといいます。
そこで同社は、小説という形式に固執するのではなく、「物語をより多くの人に届けるための最適なフォーマットは何か」という本質的な問いに向きあい漫画制作へ事業の軸足を移しました。同時期に決まったTencentグループとの資本業務提携もその挑戦を後押しし、事業は大きく羽ばたくことになったのです。
「今日決まらなかったら潰れる」

ソーシャルインテリア代表取締役、町野健氏
町野氏が率いるソーシャルインテリアは、インテリア業界のプラットフォーム企業です。約1,000ブランドの家具を取り扱い、個人向けの家具サブスク「サブスクライフ」、法人向けのオフィス構築支援から、家具什器受発注プラットフォーム「INTERIOR BASE」などを展開しています。
町野氏は熊本市内で生まれ育ち、済々黌高校を経て大学から東京へ出ました。現在のソーシャルインテリアは2回目の起業で、立ち上げたのは42歳の時。
起業の原動力は「反骨精神」だったといいます。
「熊本からわざわざ出てきたのだから、頑張らないといけないとずっと思っていた。東京の人が頑張れないという意味では全然ないんですけど、勝手に不安を背負っているというか。それで頑張れたというのは、すごく大きい」(町野氏)。
その反骨精神が試されたのがコロナ禍でした。リード投資家が決まり、年末には5億円の調達が固まっていました。しかし年明け、日本での感染拡大をきっかけに検討停止。すべてが白紙に戻りました。
プライベートではまさにお子さんが生まれるその日と重なっていたそうです。
「今日決まらなかったら潰れるんだけどなと思いながら、『行ってきます』と奥さんに言った。でも、やるべきことをやっていたから自信はあった。自分でコントロールできることだけは絶対にその日のうちに終えて寝る。それだけをいつもやっている」(町野氏)。
何十社もの VC から断られた経験もあります。しかし、それを糧にビジネスモデルを磨き、3つ目の事業として家具什器受発注プラットフォーム「INTERIOR BASE」を立ち上げました。
これが成長し、2024年には住友商事と資本業務提携を締結。同社の持分法適用関連会社となり、住友商事の不動産事業ネットワークを活用した業務管理クラウドの拡大を進めています。
店舗全閉鎖、そして工場との葛藤

ファクトリエ代表、山田敏夫氏
山田氏が率いるファクトリエは、日本各地の工場と直接組んでアパレル製品を企画・販売するブランドです。工場と利益を折半する原価率50%超のモデルで、全国60の工場と連携。北海道でウールのコート、沖縄でアロハシャツなど、各地の技術を生かした製品を開発しています。
山田氏は下通商店街で100年以上続く洋品店の次男として生まれました。店の上に家があり、朝起きたら店に立つ生活。現在も月に1〜2週間は熊本に滞在し、ファクトリエの本店は熊本にあります。
3人の中で現在、最も熊本との関係が深い人物です。
「熊本はファッションの街だった。1985年には熊本で日本初のポール・スミスのフランチャイズ店が開業したし、ビームスも熊本で早くから展開していた。半径100〜200メートル以内にファッションの情報が集まる環境で育った」(山田氏)。
そんな環境で育った山田氏は、20歳のときにパリで働いた経験から、日本の工場から世界ブランドを作りたいと考えるようになりました。
しかし山田氏もまたコロナ禍で大きな困難に直面した起業家のひとりでもあります。当時の売上は1/3まで落ち込み、横浜、名古屋、福岡、台湾の店舗をすべて閉鎖し、EC に一本化する決断を下しました。問題は店舗だけではありません。主力商品はワイシャツやスーツなどビジネス寄りの商品。コロナ禍でカジュアル化が進む中、一緒にやっている工場は本格的なスーツを作る技術はあっても、急にカジュアルなセットアップは作れません。
「工場に、レクサスのカーシートを作る仕事をもらってきたり、防護服やマスクを作ってもらったり。でも、これまでのファッションとは違って、人間が機械のように動かなきゃいけない仕事が多く、退職者も出た。やったことが裏目に出ることもあった」(山田氏)。
結果として、原価率50%超のモデルで店舗を持つこと自体の問題に気づけました。現在は銀座と熊本の本店以外は EC のみで、業績はコロナ前を上回っています。「あれがなかったら、じわじわと真綿で首を締められるようなことになっていた」と山田氏は振り返ります。
熊本は「風の谷」になれる

モデレーターはCAC竹川祐也が務めた
熊本を起点に生まれた3人の起業家たち。
活躍の場所は違えど、それぞれのストーリーに共通するのは、熊本で過ごした時間が事業に影響を与えていることでした。
大石氏は娯楽の少ない環境で創作に没頭し、町野氏は地方から出てきたからこそ反骨精神が芽生えた。山田氏はファッションの街で育ち、ものづくりへの情熱を培いました。人材を育てるのは東京だけではありません。
そして今、3人は東京で得た知見を、再び地方につなげようとしています。
大石氏は、熊本に支社を作り、漫画のクリエイティブな仕事ができる事業を立ち上げたいと語りました。熊本にはすでにアニメ「シャングリラ・フロンティア」を制作する C2C やカカオピッコマの支社があります。
「熊本大学まで熊本にいたので学生の気持ちがわかる。漫画の編集者になりたいと思っても、情報が全然集まってこない」(大石氏)。
地方の才能に、東京の仕事をつなげる。それが大石氏の描く未来です。
町野氏は、大川など九州の家具産地との連携を進めていくといいます。
「今は中国やベトナムで作っていることが多い。日本で作るというのをどんどん進めていきたい」(町野氏)。
地方の職人の技術と、東京で培った顧客ネットワークを結びつけようとしています。
山田氏は、日本のものづくりの「光」になりたいと語りました。
「ファクトリエ・ジャパンだけじゃなくて、ファクトリエ・フランスができるかもしれない。50年、100年かけてやっていきたい」(山田氏)。
熊本に本店を構え、全国60の工場と連携してきた山田氏。地方から日本へ、そして日本から世界へ。
熊本を起点にした橋渡しを、次は世界規模で実現しようとしています。
故郷や地元という場所は、単に生まれ育っただけの記号ではなく、人や企業を繋げる、何かの力があるのだと思います。
東京で得た知見や事業を、地方の人材や技術と結びつけて新しい価値を生み出す。地方が人材を育て、その人材が東京と地方をつなぎ、事業をさらに成長させる。それこそが、地域と東京がつながる意味なのかもしれません。

今回のイベントを共催した肥銀キャピタルの新宅祥平氏は、熊本の強みをこう語ります。
「熊本はベンチャー企業と支援者の距離がすごく近い。東京は情報が多い分、どこに集まるか迷うこともあると思いますが、熊本は支援者が一堂に集まって議論できる。物理的な距離はあっても、会いに行ける近さがある」。
九州と言えば福岡がいち早くスタートアップの取り組みで先行しましたが、熊本もまた、地域と企業、東京をつなぐハブとしての機能を強めているのです。
さらに熊本は今、TSMC の工場進出で「百年に一度の大変革」の渦中にあります。台湾からの観光客も増え、山田氏の店でも顧客の1〜2割が台湾人になっているそうです。半導体という新しい産業は明らかにこの地のひとつの転機となるはずです。
最後に、山田氏は安宅和人氏の著書『「風の谷」という希望』を引き合いに、熊本の持つ地域の魅力を語っていました。先進国は人口の9割が1割の土地にしか住んでいない都市集中の時代。自然は人間にとって必要ではないか?と問題提起した本です。
「熊本は東に阿蘇、西に海がある。『風の谷』に近い場所だと思う。ビジネスでの交流だけでなく、週末に阿蘇に行こうとか、金曜から行ってワーケーションしながらやろうとか、そういう立ち位置になるとうれしい」(山田氏)。
